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釧路で北海道を命名した松浦武四郎に会ってきたら胸熱だった件について

2018/01/10

・今年は北海道命名150周年のアニバーサリーイヤー
・『北海道』は松浦武四郎というお爺ちゃんが命名した。
・武四郎お爺ちゃんは釧路にも来ていて、記念碑があるらしい。調査せねば。

今年は北海道が命名されて150周年のアニバサリーイヤー

2018年あけましておめでとうございます。お久しぶりの釧路原人でございます。
今年は北海道が命名されて150年目の節目にあたる年なのをご存知でしょうか。
北海道庁や企業も官民一体でこのアニバーサリーイヤーを盛り上げようと様々な記念事業を行っています。(認知度がめっちゃ低いけど。再生数も頑張れ。)

北海道の命名者 松浦武四郎おじいちゃん

北海道は『北海道』と名付けられるまで蝦夷地とよばれており、いまから150年前の幕末から明治にかけて、江戸(東京)からはまだまだ未開の地といった印象をもたれていました。

その当時、蝦夷地と呼ばれていた土地を北海道と名付けた人こそが松浦武四郎お爺ちゃんなのです。

(松浦武四郎の出生地 三重県 松坂市のホームページより写真拝借)

松浦武四郎は江戸後期(幕末)から明治にかけて生きた探検家であり、1845年から1856年にかけて計6回にわたって、蝦夷地へと赴き、先住民族であるアイヌと寝食を共にしながらアイヌの協力を得て、当時未開の地だった蝦夷地のレポートをまとめた先駆者でありました。

釧路にも足を踏み入れていた松浦武四郎おじいちゃん

そんな松浦武四郎おじいちゃんをどうして釧路原人で紹介するのかというと、松浦武四郎おじいちゃんは道東は釧路にも足を踏み入れ調査の途についていたのです。

その証拠に、釧路市には松浦武四郎おじいちゃんに因んで松浦町という地名が存在します。

さらには、そんな松浦武四郎おじいちゃんの功績を讃え、釧路に松浦武四郎の記念碑(銅像)があるというのです。

松浦武四郎をリスペクトせず、釧路原人は誰をリスペクトいたしましょう。

普段は陽の目にあたらない武四郎おじいちゃんをこの北海道150周年のアニバーサリーイヤーにこそ取り上げなくてはいけない使命感に釧路原人は駆り出されたのであります。

【松浦武四郎おじいちゃんのまとめ】
・三重県出身で幕末から明治にかけて存命し、6回にわたって蝦夷地を調査したひと。
・アイヌの人たちと寝食を共にして蝦夷地の調査を敢行した蝦夷地のことに詳しい第一人者。
・『北加伊道』という候補案を出し、実質的に『北海道』を命名したひと。
・道東にも調査のため足を踏み入れ、釧路にも所縁があるひと。

松浦武四郎おじいちゃんは幣舞公園にいるらしい


幣舞(ぬさまい)公園といえば釧路のランドマーク花時計・ロータリー・幣舞橋・釧路川・北大通りを一望できる景観の良い公園。

今日こそは初キスを!と意気込む男子とそれを拒もうとする女子の心理的攻防戦が繰り広げられる地元高校生のデートスポットとしても有名です。(知らんけど)

そんな幣舞公園に崇高な松浦武四郎おじいちゃんの記念碑があると聞き、年明け早々にさっそく取材に出陣いたしました。

あきらかに存在感を放つ銅像がいる。

公園に入って早々、あきらかな存在感を放つ銅像がいました。

さすが松浦武四郎御大、公園のど真ん中に堂々と鎮座しておられます。

回り込んでみます。

改めて依頼品をみてみよう。

なんとも西洋的なお顔と肩甲骨には翼が生えていらっしゃいます。
しかも三つ子なのでしょうか。天にも昇る躍動感はさすが武四郎おじいちゃん。
きっとレッドブルを愛飲していることに違いないのでしょう。

銅像の下には『花を持つ天使』と。
草冠のフォントがなんともファンシー感を醸し出しております。

満足して調査を終え、引き上げようと公園を後にしようとしたとき、ふと殺気を感じて振り返る。

気のせいかしらと思った瞬間・・・

存在感を放つ何かを発見。

少しづつ近づいてみる。

ん?どうやら目立たぬがあれも銅像のようである。

原人スカウターを起動してみる。

特殊能力に命名!特技に蝦夷地探索!!!!

まさか・・・

ゆっくりと回り込んでみた。

一旦、後ろにまわりこんでみよう。

2人いるようだ。

そーっと、回り込んでみよう。

一人は膝まづいて、どこかを指差しているようだ。

おお、もう一人は何かをメモっている。

なんと!!!!

松浦武四郎おじいちゃんである。

横で膝を折り、どこかを指差しているのは先住民アイヌの方のようだ。

美しいご尊顔で、使命感に燃えている武四郎お爺ちゃんの凛々しいお姿である。

右のアイヌのお方も勇ましい顔立ちである。

なにやら銅像の下に説明書きがあるようだ。

松浦武四郎 蝦夷地探検像 とある。

昭和33年(1958年)阿寒国立公園観光協会が建てたもののようだ。

文章は読みにくいのだが以下の通り書いてあった。

北海道及び釧路の名付け親、松浦武四郎は幕末に未開の蝦夷地探検の急務を説き一身を賭して苦難と闘いアイヌ民族の協力を得て東西蝦夷地山川地理取調等蝦夷地開拓計画の基礎資料を作成し為政者に供して諸種の献策を行いその促進をはかる。安政5年(1858年) 阿寒国立公園地帯を探査して久摺日誌を記述せしより百年目にあたりクスリ酋長メンカクシの砦跡たりしサウシチャシコツに像を建て北海道開発先駆者阿寒の父として永えに顕彰せんとするものである。

この銅像は阿寒国立公園地帯の探索をし、『久摺日誌』というレポートまとめたことに対する功績への顕彰記念碑であることが判明した。

釧路の起源発展にも北海道を命名した松浦武四郎おじいちゃんの偉大なる功績があったのだ。

釧路原人はあらためて北海道命名150周年の年に松浦武四郎氏の偉大なる功績に感謝をしつつ、広く武四郎お爺ちゃんの功績を釧路を愛する者たちへ知らしめようと思い、筆をとった次第である。

ありがとう、松浦武四郎おじいちゃん。

今年も釧路原人をよろしくお願いいたします。

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